中山道、
四十六次目の宿場である大井。
ここはかつて近隣の宿場の中でも
いちばんの賑わいを見せていた町で、
多くの旅人たちが往来していました。
寛永年代、
当家初代市川佐右衛門が
この地に旅籠屋「角屋」を始め、
爾来約四百年。
明治初年には
「旅館いち川」に屋号を改め
旅館の風情、
日本の心をそのままに
皆さまをおもてなししております。

当家初代市川左右衛門は寛永年代旅籠屋「角屋」を現在地にて始めました。
爾来400年地域の皆様方のご支援のお陰をもって、今日まで営業を続けて来ることが出来ました。
角屋の屋号も明治初年に「旅館いち川」に更めております。
建物は天明7年の大井宿大火の後、再建され、玄関ロビーに掲げてあります写真にあるものが、昭和10年迄続いて参りました。木曽路特有の出格子二階建ての建物で、右方に高費用の立派な門がありました。江戸方から来て3つめの枡型のつき当たりに東を向いて建っていました、それで「角屋」と申しました。

いち川のなりたち
私の父が昭和初期から終戦前まで20年間、大井町長をやっていまして、その間、桝形道路は不便であるということで、市川家と隣の古屋家の所有地を提供して、大井橋まで直線の道路を昭和10年に開通しました。 誠に残念でしたが、古い角屋の建物は全部取りこわしとなり、現在の建物はそれ以後のものばかりとなりました。
庭にあります、赤松と錦松は昔からあるものですが、古いことを全て知っているわけですが、それを聞くすべもございません。
当家14代 市川信平記す
旅籠屋とは

「旅館いち川」
旅籠屋とは、江戸時代旅人を泊め食事を供することを業とした家をいいます。
江戸時代の街道には宿場ごとに多くの旅籠屋があり、武士や一般庶民の泊り客で賑わいました。
大井宿は、中山道屈指の宿場町で旅籠屋も多く、天保14年(1843)で41軒でした。これは美濃16宿中最高です。中山道各宿の平均旅籠数が27.1軒ですから、大井宿のにぎわいが想像できます。

旅籠屋「角屋」
上の写真は大井宿の旅籠屋「角屋」の正面ですが、木曽路に多い出桁造となり、取外しのできる格子戸がはまり、軒には講札が多くかけてあります。
その右側は特殊な方の出入り門となっていました。
角屋(現・旅館いち川)は建物こそ新しくなっていますが、現在も江戸時代の代表的な旅籠屋を大井宿中唯一続けています。
